こころえ

はじめに

坂内研究室の最初の存在意義は、純粋数学、特に整数論・数論幾何学を学んで研究を行い、数学の研究成果を生み出すことです。ただし、研究室に所属する大半の構成員が純粋数学の研究者になる訳ではないことから、実際には研究室を運営することの意義を、より広く捉えています。具体的には、研究室構成員の以下の3つの力を育てることを目標とします。

この様な力は、純粋数学の研究者としても必要なものですが、より一般に社会で活躍していく上でもとても大切な能力です。これらの力を伸ばすことに真摯に取り組み、様々な問題へ適用することができれば、いかなる活躍の場でも、世界をより良くすることのできる人になると信じています。数学の力をベースとして、社会のあらゆる場で活躍できる創造的で共感力のある人財を育てることこそが、坂内研究室の存在意義です。

最初のこころえ

研究室の存在意義が人を育てることである以上、研究室の構成員として、人は育つことができると信じることが必須となります。より正確には、いかなる人のいかなる能力をも育てることができると信じて下さい。 数学的才能、音楽的才能、創造力、共感力や、人間的好感度などの力も、生まれつきに定まったものではなく、努力によっていくらでも伸ばせることを心 より信じて、この考え方に基づいて行動して下さい。 また、この考え方をより確実に学ぶ為に、

を読んで下さい。

自分はダメだ、あるいは自分の能力に限界があると思うことは、自分の可能性をもったいなく限定してしまうだけではなく、一生懸命自分の能力を高めようと努力している全ての人に対する冒涜であり、他人のやる気までをも削いでしまう可能性があります。逆に、能力をいくらでも伸ばせるという前向きな姿勢は、他人のやる気を刺激して、研究室全体を活性化することに貢献することになります。研究室の構成員一人一人が、研究室全体の雰囲気に責任を持って、日々前向きに活動することを心がけて下さい。

社会人としての自覚

研究室に配属されるということは、研究室という社会の一員になるということです。学部3年生までは基本的に 受講者として講義や演習に参加することだけ求められていましたが、坂内研究室では研究室社会の構成員として、 社会人の自覚をもって研究室の様々な活動に貢献することを期待します。

最も基本的なこととして、以下があります。

坂内研究室では研究室配属後、日報指導や四半期計画指導などを通して、これらを身につけてもらいます。 また、研究室の連絡は主にメールを通して行なわれます。研究室配属後は速やかに連絡用のメールアドレスを坂内まで提出すると同時に、 などを読んで、最低限のメールマナーは身につけて下さい。研究室内のメールについては原則、翌平日までの返信を徹底して下さい。


数学力

数学力の強化

数理科学科の研究室である以上、研究室の最も大切な目的は、構成員の数学の力を伸ばし、数学の研究成果を生み出すことです。数学は一人で勉強するもの、という誤解もありますが、坂内研究室では、研究室というチームの力を最大限利用することで、各構成員の勉強・研究活動を一層充実したものにします。数学力を身につけるための大まかな流れは、以下の通りです。

学部3年生 – 学部4年生の最初

学部3年生から学部4年生の始めまでは、実際にセミナーを行なうことを通して、基本的な学生セミナーを行なう技術を獲得することを目標とします。学生セミナーは、定められたテキストあるいは論文の内容について、担当者がテキストに沿って発表するという形式のものです。発表する時までに、内容をできる限り完全に理解しておくことが求められます。楽器演奏に例えるなら、学生セミナーでの発表は、本番の演奏会に当たりますので、必要あれば事前に同級生や先輩・教員に分からない点を質問して理解し、時間を掛けて内容を自分なりに整理して発表練習を行い、セミナー当日はノート等を参照せずにスラスラと発表を行なうことが期待されます。数学的知識、およびテキストや論文を読み解く読解力、内容を整理する論理的思考能力、内容を聴衆に伝える発表技術、セミナー当日までに疑問点を解消し全ての準備を終える計画力などを磨くことが、学生セミナーの目的です。

セミナー内容も主に学部3年生までの代数系の講義内容を復習し、代数的整数論や代数幾何の初歩について学びます。この時期にお薦めなテキストは次の通りです。

学部4年生 – 修士1年生

学部4年生から修士の1年生までの期間は、研究室の正規の学生セミナーだけではなく、研究室内外の人と自主セミナー等を行なうことにより、数論幾何の基本となる理論を幅広く身につけることを目標とします。この時期にお薦めなテキストは次の通りです。ただし、あくまでも一例ですので、他のテキストも積極的に勉強して下さい。

数学的内容としては、代数的整数論、局所・大域類体論、可換環論、代数幾何(代数多様体、スキーム論)、ホモロジー代数、ガロア表現の基礎、保型形式などです。この時期から他大学のセミナーや整数論サマースクール等、学生向けのセミナー・研究集会や勉強会に参加して人脈を広げて行くことも奨励されます。

また、勉強内容についても単にセミナーで発表するだけでなく、発表ポスターや、解説文の形で自分の理解した内容を他者に伝える形にする手法についても学んで行きます。4年生の秋には矢上祭で、それまでに学んだ内容についてポスターを作成して発表することが求められます。また、研究集会等で学んだ内容についてポスター発表をする機会が与えられる場合もあります。

修士1年生の後半 – 博士1年生

これまでの数学的な一般教養を広げることを目的とした勉強モードから徐々に、自分の研究を進めることを目的とした研究モードも導入することが求められます。この過程において、自分自身の問題意識を形成することが、とても大切になります。修士1年生の終わりにある課題研究発表の時期までに、「自分自身の問題意識をもつ」ということがどういうことかを理解できれば、理想的です。

セミナーも学生セミナーから研究セミナー形式へと移項します。学生セミナーの場合は特定のテキスト、あるいは限られた関連テキストをしっかりと読み込むことが基本となります。しかし、この方法は時間が掛かることから、読める論文の数が限りなく少なくなってしまいます。研究セミナーは、研究の必要性にかられて論文等を読む形になります。研究に本当に必要な論文を見極めるため、最初は幅広い数の論文の概要だけを理解し、必要に応じて必要な範囲だけしっかりと読み込む、という形式が奨励されます。研究セミナー向けに論文を読む方法を理解するために、以下の必読書

を参考にして下さい。研究セミナーでの発表は、テキストや論文の内容を完全に理解することが目的では無く、概要や発表者の研究との関連性を述べた後、セミナー参加者とともに、テキストや論文の内容の理解を深めたり研究の方向性について議論することが目的です。研究セミナーでは、完璧な発表を目指す必要性は全くありません。

もちろん、研究モード移行後も、自主セミナーを通して勉強は継続する必要はあります。 研究モードは勉強モードの延長線上にあるものではなく、全く違った思考法が必要となります。勉強と研究は数学研究を行なう上で必要となる両輪です。人によってはより早い段階から研究モードを導入することも可能だと思います。坂内の2013年度現在の長期的な野望としては、学部生レベルでも研究モードを強化するために、いまの修論レベルの研究を学部4年生の卒業研究まで学年を落とすことを考えています。恒常化するには学部2、3年生のカリキュラムを強化する必要があり、まだ体制が整っているとは言えない状況にありますが、個別に卒業研究の実施について、実験して行く予定です。

博士2年生 – 博士課程修了

自立した研究者として、自分の問題意識に基づいて研究セミナーを行なって行くことが期待されます。場合によっては他の研究室構成員とチームを作り、そのチームのリーダーとして研究を進めて行くことが奨励されます。博士課程終了時には、独自の問題意識でチームを作り、積極的に研究を進めて行くことができる人財に育っていることを期待します。


創造力

数学を研究する上で、新しい理論や概念を生み出す創造力は、とても大切な役割を果たします。創造力は、数学力や他の力と同様に、意識して努力することで伸ばすことができます。坂内研究室では各構成員の創造力を伸ばす為に、研究室においても創造的な環境を構築することがとても重要であると考えています。

幅広い考え方を受け入れる心の広さ

重要なアイディアは、先生など、より経験がある人が全てを知っているなどということはありえません。どこにあるか分からない大事なアイディアをうまく拾い上げる為には、研究室の全ての構成員が立場に依らず、否定される心配なく自由に意見を言える環境が大切となります。自分の理解や考え方と異なる意見に接した場合にも頭ごなしに否定することは絶対にしない様に心がけて下さい。心ない発言により、有望なアイディアが潰されてしまうことは、悲しい限りです。

アイディアが生まれた瞬間には、思いついた本人ですら、それがうまく行くかについて、自信が無いことが普通です。最初からできない理由を列挙してしまうと、せっかく発展性のあるアイディアも死んでしまいます。生まれたばかりのアイディアを誰かから聞いたら、いかにそのアイディアを発展できるか、必死に考えて下さい。一見使えるかどうか分からないアイディアも、必死に考えて発展させることで、世界を変えうる力強い概念へと進化して行く可能性があります。

試行錯誤を繰り返す勇気

失敗は誰でも避けたいと考えることですが、何が良いアイディアかを事前に判定する手段が無い以上、創造的に活動するためには失敗を恐れずに試行錯誤して行く勇気が必要です。陶芸を作る時に2つのグループに分け、最初のグループには「時間をかけてできるだけ良い作品を作りなさい」、2つ目のグループには「質を問わないので、時間内にできるだけ多くの作品を作りなさい」という指示を出したところ、予想に反して後者の方が同じ時間内で格段に質の高い作品ができたという創造性の実験が知られています。創造力を必要とする作業は、決まった手順に従って行なえば良いと言う訳ではありませんので、多くの試行錯誤が必要となります。試行錯誤した回数だけ、物事が進むと考えることもできます。この観点から、うまく行くかどうか事前に悩むことに時間を掛けず、とりあえずやってみる、という精神でありとあらゆることについてどんどん話しを進めて行くことを奨励します。

※ただし上記について、日本国の法律や慶應理工のルールは良心の許す範囲内でできる限り守って下さい。法律やルールを破ってしまった場合には、至急、坂内に連絡して下さい。 また、話を進めて行く上で問題を引き起こしてしまった場合には、その問題を無視するのではなく誠意をもって問題解決に取り組んで下さい。

この考え方は、特に研究セミナーで威力を発揮します。研究で考えてみようとした問題や読んで見ようとしたテキストが難しすぎで全く何もできない場合があります。この様な時は「自分には才能がない」「準備できなくて自分は敗北者だ」などと思わず、自分に合った問題やテキストを探す上での試行錯誤と捉えて下さい。これは難しすぎることが分かったので次の別な問題やテキストにチャレンジしてみよう、という感覚でどんどん研究を進めて下さい。あまり何も進まない状況に長時間留まり続けていることは、自分の能力や可能性を無駄にするだけでなく、どんよりとした雰囲気を醸し出すことで周りにも気を使わせ、研究室全体の雰囲気に悪影響を与えます。


共感力

共感力とは、コミュニケーションの能力と呼ばれる能力のうち最も高度とされているもので、他者の視点から世界を見て、感情や必要としていること、心配事や心理状態を心で把握する能力です。共感力を鍛えることで、他のコミュニケーション関連の能力も伸ばすことができます。数学の研究室ではあまり前面に出す能力ではありませんが、坂内研究室では以下の理由により共感力は他の能力と同程度、大切であると考えています。

研究室の方針として研究室というチームを通して、研究室の各構成員の数学力や創造力を最大限伸ばすことを目指しています。チームとしてうまく機能するためには、構成員同士が深い信頼関係に基づいた良好な関係を築くことが不可欠です。研究などのアドバイスをする際にも、各人が置かれた状況を踏まえることが必要です。同じ内容の相談でも、心にゆとりがある時と自信を失いかけているときでは、必要とするアドバイスが異なります。また、数学のセミナーや議論において、相手の発表内容の意図を汲み取ったり、相手の理解の状況を把握しながら数学的内容を説明して行く能力は、効果的に研究を進める上でとても大切な力となります。以上の理由から、研究チームとして各人の相乗効果を高めるためには、共感力はとても必要な能力です。また、数学の研究を行なう際、数学的問題や対象を深く理解するためには、その問題や対象の置かれた状況を心で把握することがとても有効です。他人に対して気配りをするのと同様に、数学的問題や対象に対しても状況や個別の事情に気配りをすることがとても大切です。共感力を上げることで、数学の純粋な研究力をも伸ばせることができると信じています。

研究室の構成員が不安無く数学力・創造力を伸ばす為には、研究室の中で自分らしく行動しても良いという安心感が必要です。特にセミナー発表準備や就職活動など、直面する課題がうまく言っていないときなどでも、研究室の構成員に受け入れられていると感じることはとても大事です。研究室の各構成員が共感力を持って、他の構成員の状況に配慮することで、研究室全体として安定的に活発に活動することが可能となります。

共感力を増やす為の行動

良好な人間関係を構築して活発な情報交換を促進する為には、まず最初にお互いの存在を意識的に認め合うことが大切です。互いの共感力を増す為に、以下の行動を取り入れる様に努力して下さい。

また、常日頃からお互いで情報交換をする基盤を築き上げておくことが必要です。「最近の調子はどう?」「前回のセミナーで何発表したの?」「**の本はどう思った?」など、他の研究室メンバーと会話をすることを通して「気にかけている」ということを行動で示して下さい。例え内容を既に他人から聞いて知っていたとしても、本人から直接聞くことに意義があります。他のメンバーを気にかけて、良い点は見習い、困っていたら手を差し伸べて下さい。研究活動を行なう上で、時には他のメンバーに対して厳しい指摘をする必要が出てくることもあります。この様な実質的な深い議論を行なう基盤として、日頃からお互い強固な信頼関係を築いておくことが必須となります。

周囲を先導する力

学部卒で企業に就職すると、最初の年は新卒ですが、3年目ぐらいで一人前に認められ、早ければ4年目ぐらいに部下をもつ様になります。 この成長に合わせて、社会人としての様々なたしなみに加えて、自分だけでなく人(部下)が仕事をうまく進めて成長して行くことをサポートするための様々なスキルを身につけることが要求されます。

これらのスキルは研究者であっても必要という考え方から、坂内研究室では構成員に、これらのスキルを社会人と同程度に身につけることを期待しています。 このため、学年が上がるにつれて、後輩の日報や四半期計画などの立案などを指導して行くことが求められます。それ以外でも、人の話しを聴くための「傾聴」や、 人に自らの自主性に基づいて問題解決を促す「コーチング」などのスキルを身につける事も期待されます。 経験を積むにつれて、自分だけでなく周りの成長をも促す人財へと育って行って下さい。

2014年9月6日
  坂内健一